ジャニーズ について

ジャニー喜多川


世間を賑わせっぱなしのジャニーズ問題。

ずっと前からみんなにとって周知の事実だった。

 

99年に裁判で有罪判決が下ったのに。

それでもその後、KinkiKidsらを中心に

『ユー、〇〇しちゃいなYO!』でおなじみの

「明るく楽しいジャニーさん」のイメージは語られ続け、

上書きされて、無かったものとして扱われた。

 

この時の被害者の絶望感と言ったらないだろう。

この世の仕組み全てを憎んでも足りなかったろう。

 

時が流れ、時流が変わり、

今や錦の御旗ここにあり、である。

 

この件を翻って考えるに、2点。

まずは「ジャニー氏が死ぬまでこの逆転は起き得なかった事実」である。

 

これは本当におぞましい。

だが「そういう世界なのだ」と認識していた自分には

これを深く語る資格はない。

「あの世界で活躍したいなら避けて通れぬ通過儀礼」だと思っていたし、

SMA◯やアラ◯も、そうやってあの地位に登りつめたのだと疑いもしなかった。

そういう業界に作り上げてしまった、

「先達の既得権者の勝ちは動かせない」とも思っていた。

 

私が思いを馳せるもう一点は、

現在この時点でなお、同様の

「権力による弱者からの搾取はあちこちで行われている」という事だ。

 

ジャニーズ事務所を叩くのは簡単だ。

溺れかけた犬だからだ。

だがこの問題の本質は、段をいくつかすっ飛ばして論じるなら

「今この時点で他の搾取を叩けない、権力支配下の弱さ」にある。

 

吉本興業はどうだ?バーニングはどうだ?

テレ朝はどうだ?TBSはどうだ?

講談社はどうだ?集英社はどうだ?

大成建設は?大林組は??

 

一体、巨大企業の果たしていくつが清廉潔白で

叩いても誇りの出ない企業風土を育んでいると言うのだ?

…甚だ疑問である。

 

これを機に、全ての企業が是々非々で全ての膿を出し切ってほしい。

塵一つの可能性もないが、心底願う。

 

今一度日本人なら肝に命じてほしいものだ。

発注受注の立場は違えど、

交わされる商品と金銭は等価なのだと。